ワークショップは、まず10秒ワンカットの映像を撮影するエクササイズから始まった。共用のInstagramアカウントを設け、そこに日々習作がアップロードされていく。数週間が経過したところで、撮影の基本が1分間に引き延ばされた。1分間カメラを向け続けることで捉えられたのは、世界の不可逆な変化、目の前の物事を含む大きな流れの存在、など。こうして「ロードムービー」への思考が走り始めた。
これは1分間ワンカットの映像を提出順に連結しただけの映像。
詳細をみるゲストアーティスト : 三宅唱(映画監督)
三年目を迎えたRAUは、これまでのテーマに「ロードムービー」を加えて議論を繰り返してきました。
「ロードムービー」を映画ジャンルとしてではなく、「自分は何かを探すために移動する」「そもそもなぜ移動しないといけないのか」と存在論を喚起するものとして扱い、またそうした移動の過程で直面する、土地にある大きな流れ—それを形作るこれまで・これからの人の痕跡の重なりを捉えるものとして思考しています。
道、移動、流れ、交錯、、と「ロードムービー」を探る過程で、三宅唱による短いシナリオ—四行詩が制作の中心へと現れました。土地に潜む主体を意識させ、土地と人の関わりを自ずと捉えることになる四行詩は、本ワークショップの重要な構造として存在するようになりました。
ワークショップにおける議論は回ごとに切り分けられるものではなく、応答的に、作品を介して連なるように続いてきました。ここに紹介する映像作品と制作ノートの一部は、連続する議論の過程に位置付けられるものです。
ワークショップは、まず10秒ワンカットの映像を撮影するエクササイズから始まった。共用のInstagramアカウントを設け、そこに日々習作がアップロードされていく。数週間が経過したところで、撮影の基本が1分間に引き延ばされた。1分間カメラを向け続けることで捉えられたのは、世界の不可逆な変化、目の前の物事を含む大きな流れの存在、など。こうして「ロードムービー」への思考が走り始めた。
これは1分間ワンカットの映像を提出順に連結しただけの映像。
詳細をみる夏の川遊びを映すだけでなく、(カメラの後ろにいる)私の体をいかに映すかの試み
詳細をみるいまのこども、笛を吹いていて。最高なんですよ。
詳細をみる母はたぶん、運転時とは違う景色をみている。「何を撮っていかわかりませーん」という呟きに私はそれを感じた。母が景色の中で何を写そうとしていたかは、写っているかもしれない。
詳細をみる速く動くものは好きだった。自分自身が移動している間の時間は別に好きでもなく、車に乗っているときは退屈していた。
詳細をみる人の身体と会話から道を立ち上げたかった。
詳細をみる逸脱することがロードムービーの始まり?
“日常”が動き出しどこからをロードと呼ぶ?
近くの土地を撮りたいが「遠さ」をどう出すのか。
詳細をみるC(橋)=C’(橋)
記憶を呼び起こす→離れた場所・時間がつながる
先祖のみちをつくる
先祖がやってくる
家族と過ごす
先祖のみちをつくる
先祖が帰る
Aの道が変わる・・・方向だけでなく、その性質も空間の意味性を上書きする集団性(とはいえ独りでもできる)と習慣性
詳細をみる現れるものとの出会い方として、通り過ぎてからカメラを向けてるのは変なんじゃないかって。(22.08.03.)
詳細をみる自分がかつての日常の風景をたどって大きな土地の時間の流れに遭遇する・・・
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